Photograph作品集

作品

桜ノ夜 国立市 2016年


 私が住む国立市は桜の名所として有名だ。毎年時期になると美しい桜を目当てに人が大挙して押し寄せる。天気の良い週末ともなると、小さな街は人でいっぱいになる。そんな情景は年に1回、桜の時期だけだ。

 ヒーリング・アーツを応用した写真術(ヒーリング随感2 第24回(最終回)ヒーリング・フォトグラフ)を教授されてから、いつか桜の心地よい生命の輝き、ヴァイブレーションを写し撮りたいと願ってきたが、ここ数年、高木先生の裁判支援で忙しく、機会を逃し続けていたのだった。

 裁判自体は残念というより無念な結果となったが(ブログT 戯れせんとや生まれけむ 第47回(最終回) 究極のBye-bye)、今年は撮影する余裕を持つことができた。ただ当初、どう撮るか、についてはピンと来るものがなかった。いわゆるセオリーを重んじて構図云々と緻密に計算して撮影することはしないのだが、普通に撮影しても、「おもしろく」なさそうだ、と感じていたのである。


 ところが、満開直前の夜、桜並木をゆっくり歩いた際に、ふと夜の桜の風情に目を奪われた。昼の様子と違って、どこか妖しさを漂わせているではないか。その瞬間、夜、人がほとんどいない時間帯に撮影すると、おもしろいものが撮れそうだ、と直感し、それに従って創った作品である。出来上がった作品には、これまでに撮ったことのない独特の質があるように感じられ、自分でも驚いた。

2016年04月29日

御岳山の春 2016年


 通常、御岳山へはケーブルカーを使って参道まで登るのだが、この日はなんとメンテナンス休業中だった。数日前から、友人といつ行こうかと話していたところ、急だったが多少の無理をして日程を組んだにも関わらず、である。
 しかし、気候も穏やかな日で、登山口付近から心なしか、楽しげな感覚、歓迎の雰囲気が感じられた。ケーブルカーだと10分ほどだったと思うが、歩くと1時間かかった。いつもよりは時間と体力が必要ではあったが、総じて気持ち良く武蔵御嶽神社と、奥の宮へ参拝することができた。

2016年04月29日

高尾山 火渡り祭 2016年


 火渡り祭は年に一度の大祭であり、会場は1時間以上前から場所取りの人が集まる。最近は行事の無いときに行っても、ミシュランガイドにも紹介されたせいか、外国人観光客が多い。

 今年で3回目の火渡り祭となったが、毎年朝、高尾山の参道を登って薬王院に参拝し、その後下山して火渡りに臨む。この日も朝は登山し、火渡り祭で燃やされる”撫で木”を奉納し、急ぎ下山した。午後から始まる火渡り祭を良い位置で観ることのできる場所を確保するためである。

 思い返すと最初の年(2年前)は、最前列をとれず、人ごみの後ろから、頭上にカメラを持ち上げ、ファインダーをのぞくことなく炎を撮影することとなってしまったのだった。要するにろくな写真を撮れなかったのである。高木先生には、「気合いを入れてマナを込めれば撮れる」と怒られたのであるが(笑)。
 ちなみに「マナを込める」のは抽象論でなく、ヒーリング・アーツ、龍宮道を学べば誰でもできるようになる。そういった具体的な方法を活用して、ヒーリング・フォトグラフは撮られる。すなわち段階を追っていけば誰でも習得することができる。その上でさらに磨いていけば、その人にしか出せない、その人の色を帯びた作品が顕れるようになる。

 なお、この作品中の炎は、心の中の怒り(顕在、潜在問わず)の感情と響きあって、実際に炎がわが身を焼くかのような感覚を惹起することがあるようだ。注意されたい。スライドショー、「静寂の御岳山 冬 2015年12月末」「御岳山の春 2016年」には、高尾山の火に対して、水の要素が多分に含まれているので、こちらを続けて観照されることをお勧めする。

2016年04月29日

静寂の御岳山 冬 2015年12月末


 年に1度くらいは参拝を、と思い、年の瀬に御岳山へ向かった。標高1000メートルを超える山であり、かなり寒い上、年末だったので、人がほとんどいなかった。参拝の道すがら、携帯マグに淹れてきた温かいコーヒーを時折口にして休んだのを思い出す。

 この日、武蔵御嶽神社の本殿は改装中であった。本殿の裏手には、別途さまざまな神々を祀った社や、奥の宮遥拝所があるのだが、こちらの入り口も当初閉ざされていた。しかし、前日にどこかのブログで、「本殿は改装中だったが、裏手はお参りできた」と言ったような記述があったのを思い出し、友人が社務所で確認したところ、開けてくださったのである。

 午前10時前の時間帯であり、本来なら、一番乗りできるような時間ではなかった思うが、結果的に一番乗りだった。

 入ってみると、そこは静寂の空間だった。それも全き静寂に支配された空間である。高木先生と伝授会等の場で一緒に瞑想している時のような、マインド(エゴ)の喧騒が、スゥーッと消え静まり、穏やかさの中に、鋭く意識が研ぎ澄まされているときの感覚。

 いかに有数の聖地だったとしても、このような深い聖性の感覚に巡りあうことはまずあるまいと思えるほどだった。奇跡的な瞬間だったのではないだろうか。「二度と撮れない」と感じる写真ばかりだ。

 作品中の遥拝所からのぞく美しい円錐形の峰は、男具那ノ峰(おぐなのみね)であり、奥の宮がある場所だ。ふと一緒に行った友人が、「沖縄の斎場御嶽(せーふぁうたき)から久高島を観たときの様だ」とつぶやいたが、言われてみるとそのような趣もある(久高島巡礼2013年 第1回 祈りの島へ、再び)。

2016年04月29日

高尾山の秋 2015年9月


 紅葉前だったが、徐々に夏の気候が和らぎ、空が高い、いわゆる秋空の時期となっていた。久しぶりにそういった空を撮りたくなって高尾山へ出かけた。参道を登り始めたころは、雲が多かったが、次第に晴れ、下山したころには、秋空そのものとなっていた。
 もう撮らないだろうとカメラをリュックにしまってすぐに、おもしろい、気になる雲がいくつも観え、再度取り出して何枚も撮った。そのときは何で気になったのかよくわからなかったが、PCに取り込んで確認したところ、ああ、なるほど、と思ったことを、思い出す作品である。

2016年04月29日